小野原の歴史

歴史

小野原家が、からすみを中心とした海産物商に到るまで。

小野原家は佐賀県鹿島の出身です。初代甚右衛門が長崎に出て本下町にカツオ船主体の漁業と海産物商を創業したのが安政六年(1859年)、安政開国の年です。二代目善蔵は初代を受け継ぎ、安政から昭和の時代まで永きに渡り小野原家を繁栄させ、カツオ漁をやめ、海産物主体の事業に専念したとのことです。三代目孫一を経て四代目栄次に代が変わり、五代目の善一が生まれたのが大正十年。その頃には小野原商店(現在は(株)小野原本店)は築町の現在地に移り、築町の公設市場は小野原市場として親しまれてきました。

商家建築

国登録有形文化財にも登録されている黒漆喰の消化建築。

小野原本店

小野原本店が現在も店を構えている築町にある主屋と付属屋は、幕末から続いた前身の建物が大正時代に火災にあい、その経験から建築されたものです。主屋の内壁を煉瓦による防火壁とし、2階を鉄扉とするなどの防火対策が取られています。付属屋も煉瓦づくりですが、モルタル塗りの平屋根で主屋とは異なる外観となっています。これらの構造から、1945年8月9日に長崎に投下された原爆による消失を免れることができました。長崎市街の戦前から続く店舗であり、貴重な文化財としての価値を認められ、文化庁登録有形文化財(建造物)として登録いただいております。

築町

長崎の台所と呼ばれている「築町」
日本三大くんちのひとつ「長崎くんち」では御座船を奉納。

小野原本店が店を構える長崎市築町は、昔から多くの商店が立ち並び、料理人や市民から長崎の台所と呼ばれ親しまれてきました。また、築町は日本三大くんちのひとつにも数えられている諏訪神社の秋の祭礼「長崎くんち」の踊町でもあり、七年に一度、御座船を奉納しています。

町名の由来

築町は、元亀二年(1571年)の長崎海港から30年ほど経った慶長五年(1600年)に埋め立てによってできた町で、長崎の築町、東京の築地ともに「築」という漢字は埋め立て地という町の造り方に由来しています。からすみ店の他にも、くじらやかまぼこのお店などが立ち並び、長崎の台所として料理人や市民から長崎の台所として親しまれています。

町名の由来

築町御座船

築町の御座船は肥後・細川藩の軍船を模したもので、初奉納は昭和七年。長年にわたる船回しで傷んでしまった後輪だけは平成元年に新調しましたが、船本体は初奉納時の物を今日まで受け継いています。踊り場後方から船をダイナミックに3回転させながら桟敷席ギリギリまでせり上げて舳先を正面にしてピタリと止める大技「大鳴門」は築町御座船ならではの圧巻の演技です。

築町御座船